砒素による健康被害
砒素は、昔から「毒物の王」と呼ばれてきました。中国・明代の薬物書『本草綱目』に「砒の性(さが)の猛(はげ)しさは貔(ひ)のようで、故に名づけた」とでてきます。貔とは、どうもうですばやい動物のことで、その昔、飼いならして戦争にもちいたといいます。その動物の性質に似ていることから、砒素という名前がつけられた、というのです。
日本では「石見銀山鼠捕り」が毒薬としてもちいられました。大量に飲まされた人は、激痛、嘔吐、出血などに苦しんで死んでいきました。毎日、少量ずつ飲ませると、原因がわからないまま弱って死んでいくので「密室の殺人」にむいている、ともいわれます。石見銀山鼠捕りの成分は毒性の強い「亜砒酸」でした。
砒素は、地球の深部からマグマにとけてでてきて、地殻に約2ppm含まれている、といわれています。生命は、砒素と共存する機能をそなえることなしに、地球上で生きていくことはできませんでした。人は、毒性の強い無機砒素をとりこむと、毒性の弱い有機砒素にかえて体外に排泄します。排泄する能力を超えた砒素をとりこむと、砒素は生体の細胞の酵素に存在するチオール基(SH基)にくっついて、酵素の活性を阻害してさまざまな症状をひきおこします。
大量の無機砒素を一度に摂取すると、嘔吐、下痢、腹痛、血圧低下などが起こり、ひどいときは死に至ります。これを急性砒素中毒と呼びます。微量の無期砒素を長期にわたって摂取すると、慢性砒素中毒にかかります。色素異常や角化症など皮膚の特徴的な症状のほか、呼吸器、消化器、泌尿器、循環器、神経など全身に非特異的な障害があらわれます。
無機砒素をふくんだ地下水を長年飲みつづけてかかるのは慢性砒素中毒です。世界銀行の報告書(「より効果的な対策の実践に向けて―南・東アジア各国の地下水砒素汚染-」)は、南アジアと東アジアで70 万人が砒素中毒にかかっている、と述べています。こわいのは、長い潜伏期をへて皮膚、肺、肝臓、泌尿器などに起こるがんです。インドやバングラデシュでは、すでに肺や肝臓など内臓がんで亡くなった患者が多数でています。